こうやって考える
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ぜひ、週末のひとときで新たな知識を手に入れてほしい
本書は「思考の整理学」で知られる「知の巨人」、
外山滋比古の金言集だ。これまで外山氏が出版した書籍のエッセンスが、150の言葉に濃縮されている。どれもこちらの発想や思考を刺激するものばかりで、眺めているだけでも十分に楽しい。本書は多くの気づきと着想をもたらしてくれるため、何度も咀嚼しながらじっくりと味って欲しい。そんな味わい深い1冊である。
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発想力を鍛える
いたずらに情報や知識を集めて喜んではならない。大切なのは自分にとって未知のものを見つけ出し、それをもとに自分の「知見」を創出することだ。
ただし未知のアイデアを正面からつかまえ様としても、なかなか一筋縄にはいかない。
とにかく何かに対して一心不乱に努力しよう。精神が研ぎ澄まされているときにこそ、予想外のアイデアが舞い降りてくる。
また失敗のなかにも、多くの素晴らしいアイデアが詰まっている。たとえば化学には失敗がつきものだが、失敗の中には新しい発見も多い。
セレンディビティ(思いがけないことを発見する能力)とは失敗、間違いの異名なのだ。
さらに場所も重要である。かつて中国の欧陽脩(おうようしゅう)は、文章を練る際にもっとも妙案が浮かぶ場所として、三上(枕上、鞍上、厠上)をあげた。
他のことをしているときにこそ、精神は最大の自由を獲得するものだ。そして予想もしなかった名案が浮かぶのも、まさにその瞬間なのである。
思考力を高める
知識から思考が生まれることはほとんどない。仮に生まれてきても、それは小粒で非力なものだ。
なぜなら思考とは、生きている人間の頭から生まれるものだからである。ゆえに研究室で本を読んでいる人は思考に適さない。生活が貧弱だからだ。
たしかに知識は「力」である。だか知識が多くなると、自分で考えることをやめてしまう。
極端にいえば、知識の量に反比例して思考力は低下する。本を読んで得られる知識は過去形のものばかりだ。もちろん使えるところはあるが、それだけでは不十分である。
どうしても現在形の思考力や判断力が求められる場面はある。そういうときに、死んだ知識は役に立たない。
重要なのは常に問い、疑うことだ。自分にとって新しいことに遭遇したら、自問してみるとよいだろう。
常識になっていることに対しても、「ホントにそうだろうか」と問いかけてみるべきである。ただし、こうした問いかけ方は少し具体的すぎる。
さらに自由な思考をするためには、「なに」や「なぜ」を問うだけでは不十分だ。未知を考えなければならない。
本は読みっぱなしにせず、あとでかならず感想を書くようにすべきだ。書くことは面倒なことだが、頭脳をよくするもっとも優れた方法なのだから。
思いついた事を書く際は、手帳を活用するのがオススメである。手帳のメモに思いつくまま書きつけていこう。
書きっぱなしでは面白くないので、少し時間を空けたら見直してみる。そうすると、もっとおもしろいアイデアが生まれることもある。
新しく生まれたアイデアは、用意したノートへ移してあげるのがいいだろう。
このとき、雑然とメモを並べるのではなく、通し番号をつけておくと参照する際に便利である。記入した日の日付も加えておくと、思わぬ瞬間に役に立つ。

学者にかぎらず、何か一つだけに打ち込んでいる人にはどこかおかしなところがある。
純粋すぎるのは考えものだ。人間は多少、不純なぐらいがちょうどいい。清濁併せ持つ人間こそ大きくなれる。人生を豊かにするためには、わき道にそれることも必要だ。
「純粋であることはいいことだ」と私たちは教育されてきたが、むしろ雑は純一(じゅんいつ)よりも豊かなのである。
著者も若い頃、勉強の方向性を見失った時は、他分野の同輩との雑談に興じたものである。
そうすることで、小さな専門の外に大きな知の世界があることを知り、勉強が面白くなった。
ときには自分の専門ではないものみ触れてみることも、オリジナルな考えを生み出すのには必要不可欠なのだ。
そういう意味では、旅行も大切である。日常からの離脱こそが創造につながる。
「住めば都」という言葉があるが、知的環境という意味だと同じ環境にいつづけるのは好ましくない。
同じ場所に住み続けると、見えなくなるものがある。旅人の視点を持つべきだ。
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知性を磨く生活
日常生活を見なおすことなくして、知的な生活を送ることは不可能だ。すべては一日をどう生きるかによって決まってくる。知的生活という言葉のイメージにとらわれてはならない。
新しい思考をするためには、机に向かうのではなく、外に出てあてどもなく歩くことが効果的である。歩くことの恩恵は大きい。
他の事をしているときよりも、アイデアが湧き上がってくる。散歩に出るときは、メモ用紙と筆記用具を持って出るべきだ。
散歩以上に頭の働きをよくしてくれるかもしれないのが料理である。
料理をしていると、毎日のように小さな発見がある。料理は創造的な営みだ。あとは食べて褒めてくれる人がいれば最高である。
頭を働かせるうえでは、姿勢にも気を配りたい。いちばん合理的な姿勢は立つことだ。座っている時も、背筋をピンと伸ばして姿勢をよくするよう心がけよう。
成績の良い生徒は、たいてい教室で姿勢を正して座っている。そういう姿勢の方が、学んでいることが頭に入りやすい。
さらに笑いにも、頭をよくする効果がある。くよくよしたり、泣いたりしてはいけない。笑うことは知的な振る舞いだ。よく笑うのは頭の回転がはやい証拠である。
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人から与えられた仕事は、どんなに難しいように見えても、じつは思ったりもやさしいものだ。
覚悟さえすれば、たいていのことはやりとげられる。一方、自分からやりたいことには決まった締め切りがないし、催促する人もいない。しかも当面の間は利益も出ないだろう。
ライフワークとは、こういう仕事を考え予定にのせ、成し遂げる事を指す。予定表をつくることの意義は、こうした大仕事を成し遂げやすくすることだ。
この点において、予定表は日記よりも優れている。日々の予定、計画はしっかりと立てるべきである。
とはいえ日記を書くことにも利点はある。忘れようと思ってもなかなか忘れられないことでも、日記に書けばあっさりと忘れられる様になる。
日記の主目的は記録することだが、実際には安心して忘れられることにメリットがある。
なお日記を付けるのは、翌朝になってからの方がいい。一晩寝ているうちに頭の中で整理できているからだ。
人はレム睡眠時に、それまで頭に入ってきた情報を処理する。朝目覚めたとき、頭がすっきりしている感じになっているのはそういうわけだ。

頭を使った仕事をする人にとって、朝は金の時間だ。朝ベッドで目が覚めたら、あれこれ空想してみると思わぬアイデアを思いついたりする。
枕元に、メモ用紙とペンを置いておき、良いアイデアが浮かんだらすぐにそれをメモに残す様にしよう。そうすると妙案と思われるものがいくつも飛び出してくる。
基本的には夜の頭よりも、朝の頭の方が優秀だ。夜できなかったことに朝もういちど取り組んでみると、あっさりとできてしまうこともある。朝飯前の仕事こそがすべてだと心得よう。
ただし朝飯を食べた瞬間に、金の時間は鉄の時間に変わってしまう。そうならないための工夫として、ブランチの導入が考えられる。
朝飯と昼食を一緒にしてしまえば、午前中がすべて朝飯前になるからだ。
医者は健康のために朝飯を取れと教えているが、頭をうまく使うためには、朝と昼の食事は合併させて方がいい。
昼食を食べると今度は鉛の時間が訪れる。こういう時に無理をしても成果は出ないため、昼食後にはできれば昼寝で少しの仮眠をとる様にしよう。
昼寝の後はセカンドモーニングであり、ふたたび新しい1日が始まる。これは銀の時間にあたる。
夕食後になるともはや鉛を通りこし、夜10時以降ともなれば石の時間になる。「夜型」と称し、夜に作業してはならない。
そんな時間から頭を使えば、たちまち石頭になってしまう。

勉強家は絶え間なく仕事をしようとする。しかし効果を上げる継続は「休み休みの継続」だ。
つまり線的な継続ではなく点的な継続が力を生むのである。同じところで同じ作物を作ると連作障害を起こしてしまう。
それならば休作をして、他のものをつくった方がいい。スイッチの切り替えを素早くできるのは、現代人に必要不可欠のスキルだ。
それさえできていれば、どんなに多くのことを同時にやっても混乱しなくなる。ただし頭を切り替える際には、少しでいいから空白の時間も必要である。
すぐに次に移るのは良くない、何もしない時こそ、頭は大いに働いているのだ。

思考につながる読書
読書は生きる力に結びつくかたちでなければならない。新しい文化を生み出す志がなければ、教養は不毛なだけである。
本を読む目的は、よりよく生きるため、そして新しいものを生み出すためだ。
著者に敬意を持つのは当然だが、盲目になってしまってはならないし、まねる様なことも望ましくない。
むやみに愛読書をつくって得意げになるのは、精神が弱い証拠である。創造力のある頭をつくるには、手当たり次第の読書が役に立つ。
わからないところがあったら飛ばせばいいし、おもしろいところがあったらじっくり付き合えばいい。こうした”乱読”こそが、思いがけない発見をもたらしてくれる。
なお本は、読み捨てにしてかまわない。本に執着することは知的ではないからだ。ノートにとる必要も基本的にはないだろう。
本を読んだら、あとは忘れるにまかせる。心に刻まれないことをいくら記録しても、なんの価値もない。

何度も読める本がある。それは自分の考えを引き出してくれるからだ。わからないところに遭遇した時、人は自分の理解で補完する。それは一種の自己表現だ。
わかりきったことしか書いてない様な本がつまらないのは、読者の参入余地がないからである。
これはと思った本は、一度読むだけで満足してはならない。忘れた頃にもう1度読んでみる。3度、5度読んでも新しい発見と感銘のある本こそが、「我が人生の本」となる。
こういう本が3冊もあれば、りっぱな読書人だと誇って良い。逆に読んだ本の冊数を誇ってはならない。
思考能力を弱める読書は有害そのものである。心を育むような本をじっくり味読するべきである。
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